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個人授業

上田先生と頑張ってきたこの一年。

その集大成がもうすぐ始まる。

そしてそれと同時に私と上田先生の関係は終わってしまう。

『夢ちゃん、これからよろしくね』

約一年前、家庭教師としてやってきた上田先生は眼鏡の似合うすごくクールな大学生だった。

彼が隣に立つと、すごく甘い香りがしたのが最初の記憶。

カリカリと計算していると右斜め頭上から、『そうそう、で、今度はこっちの公式あてはめて』

と手が伸びてきて教えてくれる。

わかりやすい教え方で、私の成績はみるみるうちに上がっていった・・・・てか元がひど過ぎたんだけど。

ある日、どうしても出来ない問題があって、私はシャーペンをまわしながら苦戦していた。

いきなり先生の手が私の右手を包んだから慌てて見上げると、

『夢ちゃん、ペン回してっから集中出来てないんだよ』

って注意された。

『別に大丈夫だよ・・・・ちゃんと廻せてないし』

唇を尖らせると、彼は私のペンを取り上げて、すごく器用に廻し始めた。

『これがソニックでこうするのがガンマン・・・・』

色んな廻し方は神の手のようで、私は目を丸くして『すごーい!!!!』って拍手した。

『へへっ・・・・すごいでしょ』

舌を少し見せて照れたように笑った上田先生。

その素敵な笑顔に私の心臓は目が覚めたように早打ちし始めた。

一瞬にして良い先生が大好きな先生になった。

それからというもの、彼のノートを見下ろす伏せた目とか、横顔の目から鼻にかけての隆起線とか、

なにを見ても素敵に思えた。

最初に気付いてた甘い香りも全部、上田先生を語るのに欠かせないアイテム。

もう同級生は子供っぽく感じて視界にも入らなくなっていた。

『私、やっぱり先生と同じ大学目指そうかな』

夏休みに入ってすぐ、そう言うと上田先生は驚いたように口を膨らませ変顔した。

『それは夢、相当頑張んなきゃ』

すぐお母さんに頼んで週5日、先生に来てもらって追い込みを始めた。

上田先生と同じ大学に通いたい・・・・・・・。

私の目標がはっきりと固まった。

『夢、頑張ろうな。俺絶対受からせてみせるから、ちゃんとついておいでよ』

上田先生に目の前で励まされて、私は力強く頷いた。

上田先生と頑張る・・・・・先生も頑張ってくれる。

まるで二人の目標のように部屋に

[上田先生とJ大行くぞ!!!]  [夢をJ大に行かせるぞ!!!]

とお互い書いた紙を貼った。

模試での成績が目標ラインの射程に微かに近づいた頃、

授業終えて帰っていった上田先生が手帳を忘れてるのに気付いた。

シンプルな黒い手帳は、よく先生が授業時間の変更がある時書き込んでるものだった。

いけないとは思いながら、気になって開いてみると、スケジュールが沢山書き込まれている。

読んでいると、私の授業がない土曜日欄に英語で『DATE』って書かれてるのに気付いた。

そう・・・・・・・2週間おきくらいに。

(デート・・・・デート・・・・デート)

(なーんだ・・・・彼女いるんじゃん)

(そうだよね・・・・・あんなにカッコイイんだもん)

脱力した私は手帳を持ったままベッドに寝転んで、パラパラと遠慮もせずに全部チェックした。

私の家庭教師始める前は毎週のように会ってたのがわかる。

夏休みには私の授業の合間に旅行に行ってるのもわかった。

(そう言えば、授業日の変更頼まれたっけ・・・・・・・・)

あんなに自分を奮い立たせて、限界以上に頑張ってきた毎日。

私のやる気はあっという間に萎んでいった。

翌日、やってきた上田先生に無造作に手帳を返した。

『忘れていってたよ』

『ここにあったんだ?・・・・なんだ、メールで教えてくれればいいじゃん』

ホッとしたように言う上田先生をチラッと見て教科書に目を移してため息ついた。

『夢、どうしたの?』

問題が進まない私に後ろから心配そうに声をかけた。

『・・・・・・・・なんか今日やる気でない』

ふて腐れたように言うと『うーん』って困ったような声を出した。

『さすがに疲れちゃった?』

『うん・・・・・・』

『ずっと頑張ってたもんな』

落ち込んだのは、疲れたからじゃなかった。

私には上田先生と頑張るってことしかないのに、彼には他にも世界があるってわかったから。

私にとっては一生の問題でも、結局彼には仕事上の一つの契約にすぎない。

なかなか這い上がれない私に先生は『そうだ』って声をあげた。

『気晴らしに明日どこか行く?俺も暇だし』

手帳にDATEマーク無かったっけなあなんて思いかえしながら、コクンって頷いた。

彼女が居るからってすぐ冷めるわけじゃない。

振られる運命でも、やっぱり一緒にいたい。

『どこ連れてってくれるの?』

『J大行く?大学見たらまたやる気でんだろ?』

いい事思いついた、みたいに素敵な笑顔を見せてくれた上田先生。

やっぱり好きなの・・・・・・・どうしようもなく。

大学は休みなだけに人もまばらで、素敵な講堂や並木道をきょろきょろ見ながら歩いた。

『こっちが俺の理工学部で、あっちの向こうのほうに見える棟が夢の目指してる商学部』

その規模の大きさに圧倒されて、ずっと高い校舎を見上げていた。

ふられてもこの素敵なキャンパスに通いたいって思った。

『なんか腹空かね?』

大学を出ると、上田先生は急に私の手をとって引っ張った。

『なんでそんな急いでんの?』

『ん?ランチタイムが終わっちゃうの』

恋人同士のように手を繋いで歩く道。

手を引っ張るようにして先をさっさと歩く彼を見て、きっとこれが私と先生の最初で最後のデートだなって思った。

『・・・・・・・・・夢、どうしたの?』

いつの間にか涙が零れてた私を見て、上田先生は戸惑ったように立ち止まった。

『なんでもない・・・・・・ちょっと怖くなっただけ』

慌てて誤魔化して涙を拭った。

『何が?』

『受かるかなって』

彼は私の顔を覗きこんで、フッと笑った。

『受かんなきゃ一緒に大学通えねーよ』

励ましの言葉さえ、素直にとれなくて・・・・・・。

『受かったら一緒に行ってくれるの?』

無理なお願いのような気がしたけど。

『当たり前だろ?夢は俺の大切な・・・・・・・生徒なんだから』

一瞬、躊躇うように吐いた言葉に、また泣きそうになって目を逸らした。

大切な生徒・・・・・・・・師弟関係・・・・・それだけ・

『ほら、食べに行こう』

なんだかその後、お互いあまり言葉も交わさないままお昼を食べた。

失恋したって大学受験は予定通り行われるわけで、私は最後の追い込みにかかった。

でもいつまでもJ大はB判定にならなくて、成績を見て先生と一緒にため息をついた。

『うーん、難しいなあ』

『やっぱり私には無理な目標だったのかな』

上田先生は眼鏡をかけたまま私を覗き込んだ。

『でもさあ、見て。夢が最初に目指してた大学はもうA判定になってんじゃん』

『うん』

『まだチャンスはあるから諦めずに頑張ろう』

彼の力強い励ましに思わず大きく頷いた。

『そうだ!もし大学受かったらあ・・・・どこか連れてってあげようか?』

上田先生は肩をすくませて、ちょっと照れたように言った。

『え?たとえば?』

『うーん、どこか行きたい所無い?』

私は宙を見て上田先生と行きたいところを考えた。

デートしたい所なんていっぱいあった。

『テーマパーク・・・・・とか?』

彼女がいるのにずうずうしいかなって思ったけど、せっかくだから希望は言いたい。

『いいよ、じゃあ連れてってあげる』

『彼女いるのにいいの?』

手帳見たことは内緒なのに、つい口がすべった私は言ってからあっと言う顔をした。

『え?なんで?』

驚いて目を丸くした彼に慌てて言い訳した。

『あの・・・・この前デートしてるとこ見ちゃった・・・・あの素敵な人だね』

見たことも無い恋人を素敵と言う・・・・・。

私いくつ嘘を重ねるんだろう。

でも手帳見るなんて、ストーカーみたいな行動は言いにくい。

『ああ・・・・・・でも気にしなくていいよ。夢が良ければ連れて行ってあげる』

彼女の事がばれたからか、上田先生は目を伏せてばつの悪そうな顔をしていた。

その後は、無駄話もせず淡々と勉強を進めていった。

そうして試験期を迎えている。

第2希望の大学は合格していた。

そして、今日、J大の合格発表。

実は全然自信はない・・・・・・・・・結構苦手分野から問題が出ていたから。

一人、発表を見に行って、自分の番号を探す。

周りは合格した人たちが喜びを爆発させていたけど・・・・・・・私の番号はない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

あーあ・・・・・・やっぱりダメか・・・・・・・

小さなため息をついて、ひしめく人たちを掻き分け、正門の方へトボトボと歩いた。

入学出来ない大学の並木道を歩いてると、冷たい風さえも私を外に押し出そうとしているような気がする。

ふと前を見ると、ベンチに座っていた上田先生が立ち上がり、私を心配そうに見つめていた。

近づいてきた上田先生は、強張った笑顔の私を抱き寄せ、ポンポンと子供をあやすように背中を叩いた。

「ダメだった・・・・・」

「うん・・・・・・でも頑張ったんだろ?」

「でも来たかった・・・・・・」

「ゴメンね・・・・・・役に立てなくて」

私の頭を自分の胸に押し付けて、隠すように抱きしめてくれる。

「でも第2希望には合格したんだから、夢はすごいよ」

「・・・・・・・うん・・・・」

泣かない・・・・・・泣いたら上田先生を悲しませてしまう。

彼の胸の中で何度も瞬きして、落ち着いてから先生を見上げた。

彼はすごく優しい、でも少し憂いを帯びた顔で私の頬を撫でてくれた。

「じゃあ、夢、試験も終わった事だし、遊園地行こうか?」

「いいの?・・・・・・J大落ちたのに・・・・・・」

「馬鹿だなあ。ここだけが大学じゃねーだろ?ちゃんと受かってんじゃん?」

覗き込んで見せてくれた優しい笑顔に私は大きく頷いた。

私は先生とのデートの日、今までのお礼にクッションを作ってあげた。

ボクシングをするって聞いたから、[TATSUYA]って刺繍したグラブ型のを二つ。

「先生、これ」

信号待ちの車の中で渡すと、先生はすごく嬉しそうな笑顔で受け取ってくれた。

「夢が作ったの?」

「うん・・・・・・時間がなかったからこんなので申し訳ないけど、結構丸く作るの大変だったの」

「ありがと・・・・・」

私を見る先生の目はいつも優しんだけど、近頃少し遠慮気味で、前のようになんでも喋ってくれない。

遊園地ではいろんなアトラクションにどんどん乗っていった。

あれも、これもって動き回ってたら気まずい空気も消えて、いつの間にか私達はずっと手を繋いでいた。

少し離れてもすぐ手を差し出して握ってくれる。

まるで恋人同士みたいに私は自然に甘えていた。

夕方、日が傾き一日だけの恋人の時間も終わりが近づいていた。

「最後に観覧車乗ろうか?」

『最後』って言葉に涙腺が反応した。

私は目を伏せたまま頷いて手を引っ張ってくれる彼の後ろに続いた。

夕暮れの観覧車からの景色は、潤んだ瞳が空のオレンジ色とビルのライトをもっと輝かせて見せる。

「この時間ちょーいいじゃん」

「・・・・・・・・・・・・うん」

ずっと景色を見ていた上田先生は、私が静かなのに気付いてこっちを振り向いた。

「夢・・・・・・どしたの?」

「ううん・・・・・・なんでもない」

でも少し喋っただけでも、ゆるんだ涙腺は大粒の涙を零し始めた。

上田先生はこっちを向き直って私を抱き寄せてくれた。

「なんで泣いてんの?」

「・・・・・大丈夫・・・・・ちょっと・・・・・・・寂しくて・・・・・」

溢れる涙は今更止まってくれなくて。

ハンカチを目にあて、とうとう嗚咽が漏れ始めた。

「夢・・・・・・・・泣くなよ・・・・せっかく遊びに来てんのに」

「うん・・ヒクッ・・ごめんなさい・・・ヒクッ・」

「また連れてきてあげるから」

頭をポンポンと押されて彼の顔が私のおでこに近づいていた。

「・ヒクッ・・・ほんとに?・・・・・ヒクッ・・・・」

「夢・・・・俺のこと好き?」

「・・・・・・・・・・・うん」

いきなり聞かれた私は思わず素直に頷いた。

「じゃあ・・・・・今度は本とのデートで来ようか?・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・?」

俯いた私を覗き込むように彼の顔が近づいて、私達はキスをした。

「・・・・・・・・・・・・・・!?」

しばらく唇を合わせた後、私が放心状態で見つめると、彼は照れたように笑った。

「ごめんね・・・・・・」

「・・先生・・・・・恋人いるんじゃないの?・・・・・」

「ん?ああ・・・・もう結構前に別れたんだよね」

心臓がドキドキして思わず目を泳がせた。

「いつの間にか君にばっかり一生懸命になっちゃっててさあ。

 夢に彼女見たって言われた時にはもう別れてたんだけど・・・誰と勘違いしてんのかなって」

「そうなんだ・・・・・・・?」

「なんだか、立場上ずっと言えなかったんだよね・・・・・・

 でも、もう俺夢の先生じゃなくなるし」

私は彼の目を見つめてコクコクっと頷いた。

「つき合おうっか?・・・・・お母さんに怒られちゃうかな?」

彼の心配そうな笑顔に思わず首を激しく振った。

「大丈夫・・・・絶対」

私が何も言わせないから。

泣いてた赤い目のまま、私は笑顔で観覧車を降りた。

寂しく思えた夕暮れも、もうロマンチックな夜景にしか見えなくて。

私達は手を繋いで出口へと向かった。

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